2006年10月23日

1980〜:インベーダーゲームからビジネスモデル形成(3)

業務用ゲームの業界にはメーカー、ディストリビュータ、オペレータと呼ばれている3種類の業態があります。
まずは、メーカー。セガ、ナムコ、コナミ、タイトー、カプコン等、ゲーム機を製造販売している会社のことです。
それでは、ディストリビュータとオペレータというのはどのようなものなのでしょう?
端的に言うとディストリビュータは流通業者でオペレータは運営者となります。

もう少し詳しくいきましょう。まずはディストリビュータについて。
前回の記事で「ゲーム機を販売又は貸し出す」という話しを書きましたがこの「ゲーム機を販売又は貸し出す」側でメーカーではない業者がディストリビュータです。この人達は複数のメーカーからゲーム機を仕入れてゲームセンターに提供します。
ディストリビュータの存在意義は「小規模なオペレータへの商品提供」と「メーカーのしがらみが無い商品の提供」であると言えるでしょう。

最後にオペレータについて。
要はゲームセンターを運営しているところです。
物件を持っている経営者がその物件でお金を稼ぎたいと考えたときに自分で運営する場合、その経営者はオペレータと言うことになります。

ここで、またインベーダーの頃に戻りましょう。(いや、ギャラクシアンの頃ぐらいかな?)
インベーダーの頃にゲーム機を買って売ったり貸したりしていた業者はその後、ディストリビュータになりました。ゲームを買って(借りて)ゲームセンターとして自分で運営した業者はオペレータになりました。

それともう一つ、物件を持っているオーナーが物件を提供するだけというパターンがあります。
実は、これが業務用ゲーム業界特有の変な構造を形成する原因になっています。
ということで、次回につづく...

posted by kagekino at 03:29| Comment(30) | TrackBack(5) | 業務用ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月29日

1979:インベーダーゲームからビジネスモデル形成(2)

インベーダーゲームがブームを作り、インベーダーゲームに当て込んで一儲けしようとした末端の人たち。
一部のパチンコ店や喫茶店はインベーダーハウスやゲーム喫茶と呼ばれるゲームを楽しめるスペースに衣替えを始めました。これらの店舗のオーナーはゲーム機をどのような形態で運用していたのでしょうか? 実は私もよく知りませんが、後の業態から想像すると2つのパターンであったと思われます。
(1)ゲーム機を購入し、自分の資産としてゲーム機を運用する。
(2)ゲーム機をレンタルし、レンタル料を支払いながらゲーム機を運用する。

なぜ、レンタルという形態が現れるかというと、ゲーム機が高価な製品であったためと思われます。1台15万円前後のゲーム機を十台程並べる為の初期費用はなかなか大変です。そして、この時期はブームの影響で深刻な品薄状況のため1台の価格が数10万円〜100万円にまで跳ね上がっていたそうです。
こんな状況では手持ちの資金を持っていない店舗経営者は高価なゲーム機を購入することは困難です。そこで、出てくるのがレンタルという形態です。

さて、遊園地のゲームコーナーやデパートの屋上などに昔からゲーム機をレンタル、あるいは喫茶店やスナックなどにジュークボックスをレンタルしていた業態では売上げを、貸す側と借りる側で事前の取り決めに従った割合で分け合うということが行われていました。
・場所を貸すのでゲーム機を貸してください。
・ゲーム機を貸すので場所を貸してください。
・売上げは分け合いましょう。
この形態をそのままインベーダーハウス等に当てはめれば。。。
現実の商売の会話としては以下のような感じでしょうか。
「実は今、いい場所を持っているんでインベーダーゲームを置いて儲けたいんですよ。」
「あー、そこいい場所ですねインベーダーゲームをお貸し致しますよ。もちろんメンテナンスも行います。」「じゃあ、そこに置いたインベーダーゲームの売上げを半々で分け合いましょうか」

あるいは、インベーダーブームで無理をしてインベーダーゲームを多数購入してしまいブーム以後別のゲーム機を買うことができなくなった店舗オーナーに新しい機械を導入させる為に適用された形態だったのかもしれません。

とにかく、このレンタルから発展した形態は現在のゲームセンター共同経営の考え方の基本となっています。つまり、場所と引き換えにゲーム機の売上げを分け合うという考え方です。
これには更に運営する人の要素が加わってきますがそれはまた別の機会に。。。
posted by kagekino at 00:49| Comment(13) | TrackBack(0) | ゲームを取巻く社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月19日

1981:ルート16(採点)

ルート16検索して確認してみました。

意外と「ルート16」に関して記述しているサイトが少なかったのですが、以下のサイトが詳しかったです。
 「namco '70-'80's VIDEO GAMES MUSEUM」「ルート16」

あとは、「ルート16ターボ」というファミコン版ソフトが発売されていたようです。

-----------------------------------------
さて、それでは採点といきましょうか。

[時期]
(○) 1. ラリーXではない
 --> 当たり前
(×) 2. ラリーXよりも古い
 --> ラリーXは1980年でした。orz
(○) 3. 登場時期は1981年頃
(×) 4. パックマンよりも古い
 --> パックマンも1980年でした...
(○) 5. ヘッドオンよりも新しい

[内容]
(○) 1. 2段階のステージ構成:全体画面と各エリア内画面
(○) 2. 全体画面の画面上には16個の正方形のエリアが4列4行で並んでいる。
(○) 3. 全体画面では自機はほとんど点のような大きさ
(×) 4. 全体画面で自機を操作して16個あるエリアの中にあるフラッグを全部取る事が目的
 --> フラッグではなく
(○) 5. 16個の各エリアの中は迷路状(といっても行き止まりにはなってない)
(×) 6. 各エリアには必ず1個以上のフラッグがある
 --> フラッグではなく現金袋
(×) 7. 画面スクロールという概念はまだない
 --> 既に、ラリーXが出ていた。orz

[その他]
(×) 製造メーカー:わかりませんでした
 --> サン電子でした(これには意表を突かれた...)
(×) ラリーXの原型という位置づけ
 --> これを自車中心にスクロールさせたら
   ラリーXかなと思ってたけどかなり違ってましたね。
(×) ラリーという世界観
 --> ラリーではなく泥棒の車という背景
   何で、レーシングカーの形をしてるんだ??

「ルート16ターボ」手に入れて遊んでみたいなー。
posted by kagekino at 22:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 業務用ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月18日

「ルート16」の記憶をたどってみる

先日、友人と昔のゲームの話でちょっと盛り上がった。
そこで出たのが「ルート16」。
まずは、本当に記憶だけで「ルート16」のことを書き出してみる。

[時期]
1. ラリーXではない
2. ラリーXよりも古い
3. 登場時期は1981年頃
4. パックマンよりも古い
5. ヘッドオンよりも新しい

[内容]
1. 2段階のステージ構成:全体画面と各エリア内画面
2. 全体画面の画面上には16個の正方形のエリアが4列4行で並んでいる。
3. 全体画面では自機はほとんど点のような大きさ
4. 全体画面で自機を操作して16個あるエリアの中にあるフラッグを全部取る事が目的
5. 16個の各エリアの中は迷路状(といっても行き止まりにはなってない)
6. 各エリアには必ず1個以上のフラッグがある
7. 画面スクロールという概念はまだない

[その他]
当時は斬新なゲームシステムで面白かった。
ルート16を発展させるとラリーXに繋がるような気がするからナムコ製?
でも、ナムコらしいスマートさが感じられない。どこ製だったかな〜

記憶だけではこんなもんでしょうかね。
う〜〜、検索していろいろ調べたい!

どれだけ間違ってるか? 名前間違えてたりして。。。
ということで、調べた結果は次回にでも書きます。
posted by kagekino at 10:31| Comment(0) | TrackBack(1) | 業務用ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月23日

1981:電卓ゲーム:ボクシング

先日のゲーム&ウォッチ:ライオンは面白くなかったと書きましたが当時私がそのように感じた理由は実は今回の電卓ゲーム:ボクシングを同じ時期に手にしていたからかもしれません。
そう、このボクシングが非常に面白かったんです!

画面にはボクサーの上半身が向かい合わせに表示されています。
そして、操作できるアクションは以下の5種類
・上パンチ
・下パンチ
・上ガード
・下ガード
・スウェーバック
これを3つのボタンで操作します。
すなわち、上下切り替えボタン、パンチボタン、スウェーバックボタンの3つです。
この中で、上下切り替えボタンは同時に上ガード、下ガードとなります。

さらに、相手のパンチにタイミングよく自分のパンチを合わせるとカウンターを打つこともできました。どんな感じかというと相手の上段パンチの時に相手が一瞬、胸に手を引き付けてパンチが出る訳ですがこの胸に手を引き付けた瞬間にこちらの上段パンチを繰り出します。もし、このタイミングを少し間違えるとカウンターの相打ちになることもあります。

この、カウンターが決まるとなかなかいい効果音がして気持ち良かったものです。そのうち、カウンターのみで敵を倒すとかしてました。
う〜ん、久しぶりにやりたくなってしまった。。。
これも、今度実家帰ったときに探してみよう!
posted by kagekino at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 玩具系小型ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月09日

1980:テレビベーダー

私の家にはじめて導入されたテレビゲームはエポック社のテレビベーダでした。
このゲーム発売の2年前に業務用ゲーム機として大ブームを巻き起こしたタイトーのスペースインベーダーを無理やり家庭用テレビゲームに移植したものです。しかし、粗いドット、処理能力&表示能力の制限を補ってインベーダーゲームの面白さをうまくすくい取った秀作で、実際とても面白かったです。もちろん当時の私はサルのようにこのテレビベーダーをやりまくったものです。

このテレビベーダー、スペースインベーダーとの違いはどんなもんだったでしょう?
インベーダー自体は上下には同時に表示されることはなく、最初は一番下のインベーダーだけが表示されています。だから最初は一番下のインベーダーだけが横方向にズラーっと並んだ状態で始まります。そして、1匹打ち落とすとその列の次のインベーダが表示されるという変則的なものでした。(だから「レインボー」はできません)
それでも実際にやってみるとインベーダーゲームとしての面白さは十分に再現されていたと記憶しています。(でも、いくらこれで上達したところで本物のインベーダーゲームがうまくなるわけではありませんでしたが...)
posted by kagekino at 01:01| Comment(0) | TrackBack(1) | 家庭用ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月06日

セガは何故生き残ってこられたのか

家庭用ゲーム機の分野でさんざん失敗し続けたセガが何故今でも生き残っているのでしょうか?
あれだけ失敗を続けているのに...セガは不沈艦か?!
これは80年代の末頃から2000年代初め頃までの私の目からみたセガのお話です。
(あくまで私の記憶をたどっただけの一面的な見方かもしれませんのでご了承ください。)

セガという会社は等家庭用ゲームの会社であると認識されている方が多いのではないでしょうか?
あるいは業務用もやっている家庭用ゲームの会社であると認識しているかもしれません。
しかしこれは間違っています。「セガは昔も今も業務用ゲーム機の会社です。」

もう少し具体的に見てみましょう。
セガは組織構造として大きく4つに分かれています。
 ・業務用機器販売
 ・業務用遊戯施設運営
 ・家庭用ソフト販売(以前はハードも)
 ・ゲームソフト&ハード開発(内部で業務用、家庭用に分かれている)
 (あっ、トイが抜けてた...)

このうち、上の3つが収益を発生させる部門です。
そして、私の記憶では家庭用部門が利益をしっかり出したのはソニックがアメリカでブームを起こすほどに売れた年だけです。(しかも、そのことが原因で数年後に手痛いしっぺ返しを食らうことになりましたが。。。)
どんなに、雑誌等のメディア上で好調をアピールしようと決算数値を見れば明らかでした。

つまり、セガは業務用で得た利益を家庭用で無駄に消費する会社であったと言えます。
逆の見方をすると利益を生まない部門を10数年に渡り養い続けることができる安定した業務用部門があったということです。

そう、この安定した業務用ゲームにおける収益があることがセガがつぶれなかった理由です。(大川資金の注入という局面もありましたがそれも業務用の安定した収益がなければ焼け石に水だったでしょう)

それではこのセガを支え続けている業務用ゲーム機の業界とはどのようなものなのでしょう?
これについてはまたの機会に書こうと思います。

それから、そんな状況であるにもかかわらず一部の夢見がちな経営陣はとんでもない経営方針を打ち出して強引に突き進もうとします。殿!お戯れを〜。。。という話もそのうち書こうと思います。
posted by kagekino at 04:12| Comment(0) | TrackBack(0) | セガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月04日

1983:アタリショックの要因について

巷でよく言われているアタリショックについて新たな視点で述べられているブログを見つけました。

「野安の電子遊戯攻防[実験室]:アタリショックは本当にあったか[その1]」
「野安の電子遊戯攻防[実験室]:アタリショックは本当にあったか[その2]」

シリーズ物で多分次回が完結編(回答編)のようです。

これを読んで私もアタリショックについて考えてみました。

アタリショックとは1983年にピークを迎えたアメリカのテレビゲーム市場(というよりもアタリVCS市場)が同年の末頃に急速に崩壊し、以後任天堂のNES登場までテレビゲーム市場自体が消えてしまったかのごとく停滞した出来事のです。そしてその理由は急速に膨れ上がったテレビゲーム市場に安易に殺到したゲームを作るノウハウを持っていない会社が安易に面白くないゲームを乱造し、粗悪なゲームソフトが市場に溢れかえる結果となった。このため消費者に「ゲームソフトなんかは面白くない」というイメージを強く植えつけてしまった。といったことが一般的に認識されています。

この一般的な認識に対して「もっと別の見方があるのでは?」ということでその内容は野安さんの
「野安の電子遊戯攻防[実験室]:アタリショックは本当にあったか[その1]」
からの一連の投稿を参照してください。

さて、ここからは私が認識しているアタリショックの更に別の要因について書いてみようと思います。それは、アメリカにおける流通界における商習慣の事情です。これは小売店からの返品とプライスプロテクションによるものです。(プライスプロテクションは安売りをしたらその差額をメーカーが補填しなければならないという恐ろしいものです。)
これは小売店で売れ行きが悪かったときのメーカーの負担が非常に大きいため体力のない会社の場合はあっという間に倒産してしまいます。つまり、儲かると思って殺到した会社はほとんどが倒産か撤退するしか道がないという背景があったと思われます。
そして、市場を支える立場のはずの当のアタリは人材の流出と「ハードで儲けず、ソフトで儲ける」思想が災いしてソフトによる収穫を待たずして分離解体されてしまいました。

いまのところ私の考えをまとめると

 1)実力のない会社が市場に集まる
 2)質の悪い製品が乱造される
 3)売れないソフトが増大
   面白いソフトが消費者に伝わりにくくなる
   ソフトの安売り〜プライスプロテクションでメーカーを圧迫
   ソフトの返品によりメーカーを圧迫
 4)ゲーム市場からの客離れ(別の市場に収益を奪われる)
 5)実力のない会社は倒産または撤退

ここで、実力のある会社だけが残るはずですが、返品&プライスプロテクションの影響で持ちこたえられずにほとんどがなくなってしまったか、または別の分野に行ってしまった。

こんなところかな〜。(あくまで私の想像です。ちょっと浅いかな。。。)

ちなみに、セガのジェネシス(メガドラ)時代の末期頃、既に日本ではサターンが出荷されていたにもかかわらずアメリカではジェネシスのソフトがまだ売れるからと...
結果、返品&プライスプロテクションでダメージを受け、アメリカでサターンの展開をする体力がなくなってしまったという話もありますね。(さらに、2002年にもやっちゃってますね)
posted by kagekino at 02:33| Comment(1) | TrackBack(1) | ゲームを取巻く社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月03日

1978:インベーダーゲームからビジネスモデル形成(1)

1978年に発売されたタイトーのスペースインベーダーは社会現象になるほどヒットしました。
娯楽の殿堂パチンコをも駆逐してしまう勢いだったようです。
大人が大挙してゲーム喫茶でチュンチュンやっていた訳です。私はまだ小学生だったのでこの時期にインベーダーゲームで遊ぶことはできませんでした。

この時期、これだけヒットした商品は当然品不足に陥ります。このインベーダーゲームは筐体込みで取引されていたので尚更供給が追いつかなかったことが想像されます。
このため、商品の価格やリース料が高騰していったそうです。業界でディストリビューターと呼ばれている流通業者の営業マンは札束をもって商品確保のために駆けずり回っていたと言われています。(セガやナムコ等の営業マンも同様だったようです)
そして、ほとんどのメーカーはインベーダーゲームの完全コピー物や類似ゲームを作るまでになってしまいました。(当時業務用もやっていた任天堂も例外ではなく変なインベーダーゲームを出していました)

とにかく、いろいろな問題を含みながらもこの時期に全国各地にテーブル筐体ビデオゲームが急速に設置され大きな市場が形成されたと言えるのではないでしょうか。
posted by kagekino at 03:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲームを取巻く社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月01日

インベーダーゲーム以前

1978年にタイトーがスペースインベーダーを発売しました。
業務用ゲーム業界が大きく変化した重要な時期です。
インベーダーゲーム以前の業務用ゲーム機はどこに設置されていたのでしょう?
私の思いつく限りでは遊園地のゲームコーナー、デパートの屋上、健康ランド、ボーリング場。
それでは、どんなゲーム機が設置されていたでしょう?
レーシング系のゲーム、パチンコ系、スロットマシン系、メダルゲーム、あれれ、あんまり思いつかないな。。。ただ、ひとつ言えることはこれらのマシンはほとんどがアメリカ製で日本製のものは少なかったようです。(ちなみにセガはこれらのゲーム機器の輸入販売及びレンタルする会社であったそうです。)

どのような人がこれらで遊んでいたのでしょう?
家族連れのお父さんと子供とか、若いカップルなどの一般の人で、ゲームマニアなどではありません。ゲームに魅せられてのめりこんでしまった人など存在しませんでした。一般の人がメインの楽しみのついでに立ち寄り、ささやかにお金を使うところという存在であったと思います。

※インベーダ以前のビデオ系業務用ゲームとしてはブロック崩しが少しだけ流行ってたかな?
posted by kagekino at 02:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲームを取巻く社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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